タバイモ展

この夏、帰省中に両親と「原美術館」に行った。そういえば、こうやって一緒に現代美術を見に行くのは生まれて初めてかもしれなかった。
その時見た題目は束芋という作家さんの「ヨロヨロン」というやつだった。
今日はそのときのメモより。


展覧会案内より抜粋。

アニメーションを用いた映像インスタレーション作品で注目を集め、国内外で目覚しい活躍を続ける束芋。作家がモチーフとしてきたのは、畳張りの民家、銭湯、通勤電車といったどこか郷愁をさそう日常風景です。その中に、少年犯罪、自殺、閉塞感といった今日の日本社会の暗部が淡々と展開してゆく独自の表現スタイルで、日常と非日常の狭間の危うさをクールに描き出しています。






人に理解してもらおうなんて考えを抱くほうがおこがましいような、訳のわからないものを作りながら、一応現代美術を勉強している身だけど、ものを知れば知るほど、最近益々自覚することがある。
なんと、私の考え方は古いらしい。
自分の興味あることは大抵といって、過去の巨匠や芸術家たちがしてしまっている。大体個人のレベルでものを考えていること自体が古いんだ。


その点、このアーティストは現代作家の典型ではないか。
こんなナイーヴな作風に仕上がっていながら、そのテーマは個人の枠を超えて政治的な意味を含んでいる。
何より美しさと技術が半端じゃない。
その上、つい溜息をもらしてしまうほどの曲技は、見せ方にあった。めくるめく新しいプレゼンテーション法が展開され、わたしは「あぁ、この人の作り出す世界はこんなにもイノベイティブだから、これからもこの人の作品を、もっともっと見てみたいものだ。」と楽しみに私たちは思えるのだな・・・。見に来た人に、楽々とそう思わせる魅力まで兼ね備えている人だ、と思った。

それら全てが、この束芋さんという現代美術作家を見るエキサイトメントや、パワーに変わって、私たちに伝わってくるらしい。これが、現代芸術の典型、いや雛形を見た、と私が思った所以だ。確か、若くして大学の講師もされている、というのだから納得だ。



と、ここまで書いたけども、こんな風に私のような分際で、美術について書くなんて、大体日記とはいえ、公の場に私の駄文を公開するなんて、思い上がりもいいところだ。本当に、この場をもって誤りたい。ごめんなさい。

とくに日記となると、何でも思ったときに書きたい性分で、紙とあらば見境無く、紙切れや、その時開いていたノートや本の端に書き出してしまう上、その場からすぐ無くしていってしまったり、どこに書いたか分からなくなったり、果ては書いた記憶さえあやふや・・・。そんな私が、日記を複数もつなんて出来っこないのです。

だからこの日記の良いところは、恥とは知りながらも、全部ここに纏めておけること。大雑把な自分のメモ代わりとして書いているので、私事主観ばかりが行ったり来たりする場所ですが。どうか、大目にみてやってください。というわけで、今日は以上。ごきげんよう。


ヨロヨロン 束芋
2006.06.03 〜 2006.8.27
http://www.haramuseum.or.jp/

インタビュー記事
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2006/07/post_58.html

ちらしの写真があった
http://blog.goo.ne.jp/aohie/e/66b94392afd2d58102c66db32a247d5f

父の日記より
http://century21.jugem.cc/?day=20060817