プチプチと格闘

日曜日

ひさしぶりに、友人たちの間で話題になっていたニナガワ・カンパニーの演劇を見に行ったり、マーケットに買い物に行ったり。それなりに出かけたのですが、この週末中でなにより特別だと思えた時間は、おうちにて、冬のジャケットの毛玉をとって冬物の収納箱に仕舞ったことでした。かなりの毛玉量で1時間くらい、ジャケッツと格闘。ほかにも、穴が開いたりほつれたりしている部分を修繕し、ふかふか毛糸の靴下の穴を縫って閉じ直したりだとか、日曜日の午後はほとんどそうすごしました。
洗濯物をたたんでいて、けっこう傷んでいる洋服たちが沢山あって。よれよれになったTシャツ、穴がところどころ開いているカーディガン、リッチの靴下は大抵ボロボロになっているし(何でこんなになっても履いてるの・・・)。それらを扱いながら、 ― 洋服が皮膚であるならば、やはり古くなった皮がぽろぽろと落ちて行くように、私もこの洋服たちを捨ててゆくべきなのかなぁ。それならこうやって修繕していくっていうことはどういうことなのだろう。・・・プチ整形? ― などと考えていました。
こんな時間を愛する気持ちを記録しよう!と思いたち、リッチに写真を一枚とってくれないかと頼んだら、とても怪訝な顔をされました(うえの写真をよくみてみる)。たぶん一体何を、どういう理由でとったらよいか分からなかったんだろう。言葉どおり『ワケが分からない』、そんなとき人は困った顔をするんですね。ふふふ、美術を見ていても、同じような顔をした人ばかりが居ますよね。
何より彼は、サッカーの試合結果を確認するため、テレビのある部屋まで急いでいたところだったから。何で撮るの?、と聞いてくれても、「この時間が好きだから。それだけ。」って端的に答えてしまうしかなかった。同じ家のなかでも、人にはそれぞれ別の時間が流れているのだということが分かります。そんな一昨日。
(五月一日記)