高校時代はわたしのトラウマです。

そんな私になんと、『女子高生バトン』とやらが届いてしまった。因縁めいたものを感じます。ダークになるけどいいですか?事前に忠告しておきますが、気分を害されると思われる方は、ここから先へは進まれまんせよう。それでは、、、

  1. 今あなたはいくつですか?
    二十四です。
  2. 高校は公立?私立?また学科はなんでしたか?
    私立の普通科に入ったつもりでした。気がついたら、いわゆるクリスチャン系でした。
  3. 女子高でした?共学でした?
    さっそく、なんとも説明が難しいです。この学校は、女子部と男子部に分かれていて、同じ敷地内、少し離れたところにそれぞれの校舎がありました。勉強は普段、別々に行われていますが、同じ敷地内にいるのですれ違ったり、折々の機会や年中行事のあるときに、限られた両方の人数が一緒に作業をしたりしていました。恋愛や交際はもってのほかで、ほとんど女子高という扱いだったと思います。
  4. 彼氏はいましたか?
    いません。他の女子同様、男子部の男の子に片思いばかり数年。
  5. 部活はなんでしたか?
    この学校にはほとんど部活、というものがありませんでした。というのも、学生は学業よりも、なぜか給食作りから、学校のメンテナンス、学校の運営、キャンパスの掃除までありとあらゆる働きに駆りだされていたからです。寮で生活しているときは、寮に帰ってまでその調子で、ここでも朝5時半に起きて、寮生全員の朝食作り、朝と夕の二度にわたって寮全体の掃除。朝礼、夕方にもミーティングなどなど。寮に個人の部屋はなく、一部屋8人が詰め込まれ、二段ベッドで生活していました。朝から晩までこのような状態を続けると、精神的に24時間休む暇はなく、まったく修行僧のような毎日でした。
  6. 好きだった教科は?
    覚えがありません。授業中は疲れて寝ているか、自分のしたかったことを唯一できる限られた時間で、通学生が差し入れてくれる本を、教科書の裏に隠して読んでいました。
  7. 嫌いだった教科は?
    とくに上げれば英会話、裁縫、調理の時間。まったく作り方のわからないものを、突然仕上げろって言われても酷なはなしです。しかも、○○縫いなど、みなさんにとっては当たり前だった裁縫用語も全く分からなかったので、説明されても何のことかさっぱりついていけないのでした。ミシンも全員分あるわけではないから早い者勝ち。遅ければ遅いほど不利な状況・・・。泣きそうになりながらも最後の最後、「ゆみちゃん、服なんか、服に見えりゃいいんばい」という、うちのおばあちゃんの一言に深く納得。なんとか着れる状態になって提出したのでした。調理の時間は、オバサン先生に怒鳴られるわ、熱気は熱くて気絶しそうになるわ、そこは私にとって戦場。普通だったら趣味の領域で楽しそうに聞こえる科目ですが、これらの授業はさながら悪夢でした。
  8. 学校にメイクはしていきましたか?
    眉毛を描いて、まつ毛をカールさせたら、周りからすごい色々言われたので、次に髪を真っ赤に染めました。それから緑、苔色とか黄色。それも今考えると、笑えるくらい非難ゴーゴーでしたが、唯一自分のしたいことを出来たので良い思い出です。
  9. ピアスはOKでしたか?
    もちろん禁止でした。でも、高2の誕生日に友達とあけに行きました。その頃は、もう精神的におかしくなってて、痛みを感じないと生きている気がしない。あのとき、一生懸命自分を保とうとしていた一つの手段だったんだと思います。耳に残ったあとも、そのときの良い思い出。
  10. 制服はセーラー?ブレザー?
    表向きには『制服は私服』という名目。でも、これまたやっかいな細かい規則にしばられていました。ジーンズやTシャツは、あり得ません。女子が着て良い服とは、スカートかブラウスのみでした。それもまた細かいところで色々学校裁判のようなところで取り正されます。ぞっとするようなセンスの悪いデザイン(手作り風)の学園スカートとブラウスを着ていれば、文句を言われないというような決まりでした。私たちの時代は、「ルーズソックス」が登場したばかり。まさか、靴下についてまで細かいことは言われないだろう、と踏んだ友人たちの何人かが履き始めた時点でそれも問題に・・・。学校裁判みたいなところで、話し合わされました。



卒業して6年、いまだに全容がつかめない学校です。私は、表と裏の考え方が複雑すぎて混乱しました。寮生活では、雑誌、音楽、CD、お菓子などの食べ物まで一切持込禁止。持ち込みが見つかると、寮生全体が集合して、皆の前で泣きながら謝らせられます。平日は外出禁止、学校の敷地から寮までの一本道を外れたところを見られると、それがまた裁判に。休日も前もって寮長に「外出届け」を出さないと外に出られません。その理由が「妥当ではない」と判断されると、もちろん外出は禁止・・・。まさに東京のど真ん中の、トラップに監禁されたも同じ。なんてところに、誤って入ってきてしまったのか・・・と。東京にいながら一切、Cultural Activity の自由がない、気が狂いそうになりました。いや、そして私は本当に気が狂ったんだとおもいます。

この多感な時代に自分探しができない地獄。高校を卒業して、通ったアート・ギャラリーのひとつひとつが、身を潜めるように隠れたカフェのひとつひとつが、乾ききった心を癒すかのように私の精神のバランスを持ち直す手助けをしてくれたんだと思います。

今のわたしがそのときの自分に相談を受けら、さっさとやめちゃえよ、というだろけど。あのとき、唯一わたしの話を真面目に聞いてくれたのは、いとこのお姉ちゃんでした。本人も大変だった時なのに辛抱強く一緒に居てくれた恩人です。ほんとうにスゴイひと。

さぁ、これ以上続けたほうがいいのか、続けないほうがいいのか、、、バトンの続編は次回に続く・・・。