なくなる生家を写真に収める

家にかんするとても素敵な描写、ほんとにビューティフォー。

何度も泣きそうになりながら、(そしてこっそり泣きながら)風景ってなんだろう、と思っていました。今年のお正月に帰郷していたので、以前とそう変わりはないのですが、なんか気がつくと庭に敷かれたウッドデッキの上にはウッディーな机とベンチ、夏は最近、ここで食べてんのよ、と言われたり(そして実際晩ご飯はそこで食べた)、テレビが液晶になってたり、妹のマンガが増えてたりして。東京では全然聞こえなかった蝉が朝からすごい鳴いてる。そんな風になにかが少しずつ移動してたりしても、家の持つカラーは変わらない。冷蔵庫の近くの料理本コーナー、つまり母のコーナー。食器棚の毛色がばらばらな皿やグラス。今は亡き犬が引っ掻いた戸の傷があるお風呂場。階段の急さとか、庭の伸びきった雑草だとか、隣の家の風景だとか、窓から目の前に広がる山・空・山。そして家が疲弊していくのと同じ速度で、父と母は少しずつ、しかし確実に老いを重ねていき、年の離れた妹だけが、健やかに伸びゆく長い人生をプラスの方向に進んでいっている。・・・

・・・じっとりと家具や配置やら、すべてが記憶の手触りとして思い出せる場所。それが生家というもの・・・

たまたま通りがかった、神居ボンヌさんという方のホームページにて。
http://bonnek.exblog.jp/m2005-07-01/#1472552