シリ滅裂
先日のチュートリアルのあとから、もうここ3週間くらい前に進んでいない自分に不安になる。
毎日悩んでばかりいた。
最初に書きたかったことが、コトバのすれ違いのせい(?)で、全然関係の無い方向に進んでいこうとしている。そのことに関して、ひどくフラストレーションを感じている。
で、もうデッドラインもギリギリのこの数日間、今更何を思ったか、また洗いざらいオンラインを漁っている。
どんなアイデアでもいいから、彼女の言っていることを理解できるような基礎知識が、ワタシには必要なんだと思う。
さっきまではテート・アーカイブで、少しでも関係のありそうなところを全部ひとつずつ開いてみたりした。
関係ありそうで、関係ない『現代写真』についてのアーティストトークを4時間かけて見て。
特に日本、韓国、中国、台湾から来たアーティストさんの話を聞けたのが面白かった!
アート界トップの人たちが、下手な英語でも、すっごい一生懸命はなしてる。言葉もバリバリすれ違ってるけど、それがまた面白い方向に引き出されもして。もう、なんかめちゃくちゃ面白い。
質問のところで、ふたつの観点をメインに話してたけど、ひとつはテクノロジー、ひとつは習字。
特に、
習字がオリエンタルの、特に中国美術の原点なんだ、という一言がとても興味深かった。
美術というか、そんな一つの分野に収まらない、カルチャー全ての原点なんだ、ともいっていたかな。
習字は、美術なんかよりも、だからもっと重要なものなんだと。
なるほどそうかもしれない。
東洋はその 何でもとりこんでしまう Diversity (それもほとんど無意識のうちに) と、日常の中で毎日行っている行為 (ここではWriting)が何世紀もの長い年月をかけて芸術化する特徴があるけど、それはヨーロッパにも当てはまるんだろうか。
日本人がイギリスに来ているからって
Orientalism とか、Globalisation とか、
そういうものがワタシたちの方が見えてるって Assume してるところがあるんだ。
何だか、逆にあっちがこっちを『違うもの』って対象で見てたりするとか。
こっちは全く無意識なのに。
実際、ココに来て、こちらに居られる私たちって、そういうことに関してはどうでも良かったりするし、
ある意味、そういう面で Nationalism 感 とか鈍いやつの方が・・・
そういうところが鈍いからこそ、全く気にならないで住めてたりする。
それで、確かに別々の価値観がある。
Habitus はヨーロピアンの考え方なのに、それを自覚もしないで取り込もうとしてたことが、支障のひとつだったんだ。
当たり前のことだけど今更確認した。
それに反してテクノロジーの問題は、Modern World 共通のことで、
テクノロジーによって変わる写真の意味、について話してたと思う。
コミュニケーションのことも話してたけど、
写真が存在する意味を探すことは、人間として『見る』という行為の意味を探すことなんだ、というようなことを一瞬聞いてて感じた。
(ファインダーから、いつも見ている彼らアーティストのことばらしい)
韓国代表の Yeon-doo Jung さんが言ってたけど、テクノロジーが発達して、ますます Photoshop で自分たちの顔でさえ修正できて、、、雑誌の表紙を飾っている人たちでさえ、どこか修正が加えてあって、全てがオリジナルでない可能性があることをみんな知っている。写真というテクノロジーが、デジタルカメラの台頭により、ものすごく身近になった、みんなが出来る。だけども、それで、どこに本物(そういう手の加えてないもの)があるかは益々分からなくなっている。多分、だからアーティスト(写真家)は、こういう時代だからこそ、『見る』こと、について考えていかなければならないのかなぁ、、、というようなことに触れていたと思う。
自分のアイデアも、とりあえずもう一度見直そうと、先生の意向に反してやっぱり最初に「この人について書きたい!」と思ったアーティストの本をもう一度読み返したりもした。やっぱり最終的には、これがないと書けない、と実感もした。
まだまだ情報、探し足りないけど、今夜は夜通し頑張ろう。