Misatikoh Magazine


下北沢で拾ったミスアティコーという雑誌からの切り抜き



2006年5月28日発行 Vol.004
特集『なぜ魚喃キリコは下北沢を描くのか?』text: 高橋里美



(p.7) _作品の背景によく下北沢の街並みを描いてらっしゃいますよね。これはどうしてですか?
「私は下北が好きです!」っていうのをみんなに叫びたいんだよね。・・・

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_(笑)。ご自宅が仕事場ですか?
「今ね、編集部を借りて漫画描かせて頂いてるの。月8ページの1作描くとしたら、1週間通う。終わったら、またベロベロの生活になっちゃうんだけど」(MEMO:家の外に場所を作り制作する理由をふと思った。アーティストのスタジオもそう。普通の会社の仕事場もそう。それが一般的になっているわけはなにか。彼女の場合、漫画家でもそのスタイルが適用されるのが印象に残った。)

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「―恋愛って結構、人恋しさだったりすると思うんだよ。―」

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_・・・生活の話を読んでいる感じ・・・

「・・・だから誰かがくらしている気配・・・」

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「・・・何気ない会話の4コマでも後ろにちゃぶ台があって、その上に家族が食べて置いて出て行った茶碗があるの。ただあるだけなんだけど、すごく生活感をかんじるのね。・・・」
_・・・「換気扇から流れる匂いを嗅いで」とかリアルな表現が多い・・・

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「『water』の頃からやろうとしているのは1コマだけで十分、絵が成り立つこと。・・・」(MEMO:アーティストの強い志を感じるな〜)






(p.9) 『日常を真空パックするという日常性』
魚喃キリコは恋愛と日常を綴る。(中略)何気ない会話に安心できる場所がある心地良さ、「ご飯を食べて、明日も頑張ろう。」−−−そんな単純すぎて見過ごしやすい日常の大切さを、彼女は愛情をこめて伝えようとしているのかもしれない。日常を愛することは自分を愛することであり、思い出を大切にすることは自分を守ることなのだ。(MEMO:「日常」それだ。元気がないときに見る、わたしは ghibli作品にこれを見出しているのかもしれない。)どんな夢物語よりも結局、勇気づけてくれるのは現実であり日常だ。(以下略)