家をかつぎたい

馬鹿な私は、今日パソコンでものを書くために大学に来たのに、アダプターケーブルやらファイルのフォルダーは持ってきたものの、パソコン本体を忘れてしまった。いつもながら手書きで書いている。日記は最近手書きで書いて打ち込むことが多く、何故だかその方が、私の気持ちにほんの少し近い文章が出来上がるみたい。

折々の機会に『歩くこと』について書いてきたけれど、「歩く」ことに興味があるのは、じつはそれが心底つまらないと思うからだ。思うからこそ、これが一体どうやったら楽しいものになるんだろう、どうして楽しいと思うひとがいるのだろう、と興味が沸く。

わたしが歩くことをつまらない、と思うのはたぶん『ものもち症』のせいではないかしら?という考えが生まれて、もうしばらく経つ。

今日も重いファイルや諸々の『ものたち』を抱えながら、その上、帰りに図書館からなぜかハードカバーの本3冊を足してしまった。重さにして、ゆうにダンベル3つほどあったのではないか。一度出てしまうと、もう戻れない・・・。半泣きになりながら徒歩10分の道を、30分かけて歩く。

これでも今はずいぶん軽くなったこの「モノを持つ」傾向は、昔から私をつきまとって悩ませる。何故こうも重い思いをしてまで、不必要(かもしれないものを)(ただ自分ではその区別がつかない)持ち歩くのか。もうむしろ、ドラボンゴールのあのカプセルみたいに幾らかコンパクトにして、家ごとかつげはしないか、と切に想う。

『ものもち症』と、いまのところ呼んでいる悲しい自分の癖について、ほんのり苛立ちながら、思いに耽りながら歩いていた。