晴れ

 うかつだった。大変なことをすっかり忘れていた。秋になると、必ずリッチが落ち込む時期がある。私と会う前のことだけど、11月はある人が亡くなった時期。2年前初めてそんなリッチに面したとき、本当にショックで何とかしてあげたいと思った。今日はその大親友がこの世に誕生した日。毎年この誕生日の前夜、リッチはその時一緒につるんでいたもう一人の親友と飲みに行く。ロンドン中に点在する思い出。そんな場所を通過するたびに、彼の名前を出すたびに、リッチはいつも辛そうになる。前は名前をも出せないくらいつらかったのに、今は本当に、ゆっくりと、ゆっくりと名前も出せるようになってきた。だけど、表向きは冗談を言っていても、今ふと振り返って見た、ソファーで寝転がりテレビを眺めるリッチの目は遠い。彼がその友達を大切に思う気持ちが伝わってくれば来るほど、私の中でだんだんと境界線が無くなって、その友人が未だに生きているような、今度会えるような気がしてしまう。

 多分、私とリッチとでは、死に対する感覚が違うような気がしている。何でだろう。イギリスと日本の違いも、今までの経験の違いも、立場の違いもあるんだろう。
 私の実家では、毎年お盆に福岡に行くと、お祖父ちゃんのお墓に親戚中でお参りする日があった。お祖父ちゃんは父が小さい頃に亡くなったので、私にとっては間接的な記憶しかない。切ないというよりも、その日は親戚一同でする夏の一大行事のようだった。墓所まで1時間半、みんなで福岡の山を駆け抜け車に乗っていくさまは、まさにドライブ。お互いの車から手を振ったり、いとこやオバアチャン、伯父ちゃん、伯母ちゃんたちが博多弁で語る爆笑話を聞くのが楽しみだった。もしかして、いとこ達はいつもオバアチャンやオジちゃん達と近くに暮らしているから、お祖父ちゃんに対する関係は、また私達千葉県組とは少し違ったかもしれないけど。みんなでゴシゴシお墓を磨いて、良く働くと誉められた。祈るときは、何を話しかければいいのか分からなかったけど「おじいちゃんに、いつも見守ってくれて有難う。これからもお願いしますってお願いすればいいのよ。」って教わった。お墓参りの後は、必ず地元で美味しいと評判のうどん屋さんでお食事をする。決まっていつものように「お、お前オレより高いの注文すんのか?!」って冗談交じり(?)の父が私だけじゃなく弟達にも言ってる。母も横で、輪をかけて可笑しな状態だ。
 だからお墓参りって、私にとっては暗い意味だけじゃない。お墓に行くことを、考えることすら暗くなってしまうリッチ。その墓地がどんなに美しい場所にあっても、週末に何の用事が無くっても、その週末がどれだけ天気がよくって美しくても、大親友のことを考えるだけで、辛くってお墓まで足が運ばない。どうせ泣くから、一緒にはいけないよ、いずれは私を連れて行って会わせてくれるというけど、彼の心が準備できるまで暫く待とう。
 こんなことを日記に書くのは間違ってるかも知れない。でも私にとっては心にためて置けない。これが間違いだったら、心配だけど。浅はかでしょうか。でも書きました。リッチにとっての秋。わたしにとっての夏。