こノ町楽しい



飛べたり、建物に大きな能のお面がくっついてたり、建物が火ふいてたり、色んな色の光で入り乱れてる。


こういうハッキリくっきりとした世界感を想像できるひとは、痛い想像力もなおさら豊かなようだけれども。最近では、グロテスクな発想というものは結構ありふれていて、それよりもこの作品の場合、それは映像にキックを与えるひとつの効果だと考えると、何がおこっているかに目を見張るより、どうしても周りに描かれた環境に見入ってしまうように出来ているのだろう。街のオーガニック性を考えると、むしろここに出てくる登場人物は、日々生まれては死んでゆく私たちの細胞のように、そこにいる一つ一つの存在に目を向けるほど人間らしい存在価値を与えられているわけではないから、逆にこのようにズームアップされて、ひとつひとつの細胞が動いている様を見るのは医療系のドキュメンタリー映像でも見ているようだ。


とにかく、このような想像がベースとなる街は、東京、またはアジアの国々にどうも多いようだけれども、このような想像をヨーロッパの街に重ねて、映像を作り出す作家がなかなか見受けられないのはどういうことだろうか、と考えていた(もちろん単に私の勉強不足によるところの、無知かもしれないけれども)。ロンドンはロンドンで、もうこの世界を体現しているような不思議な造りが街のあちこちに見受けられるのに。たとえば街中にたくさんの大きな時計が散らばっていたりだとか。動いているものや、止まっているものも含めて、これほどの時計が街のあちらこちらで見受けられるのは、それだけで、とても日本で体験してきた生活の現実からは掛け離れている。ほかにも恐ろしい鬼やいやに無表情の天使が(ガーゴイルのこと)、街のあちこちから私たちへ無感動な目線を投げかけていたり。そこにもここにも、街が動き出す仕掛けが散らばっているというのに・・・などと結局はこの映像に出くわして、またロンドンのことを考えてしまっていた。